ジオとともに生きる 前編

21.06.16

ジオ

小俣 緑

ジオとともに生きる 前編

隠岐諸島には、これまでに二度訪れたことがある。大地の躍動を感じるような特異な地形や景観、隠岐牛や岩牡蠣など御食国たる豊かな食材、そして、屈託のない島の人々の笑顔と笑い声。その度にいつも感じていたことがある。
ここには、マグマみたいな、熱い何かがいつもぐるぐると静かにうごめいていて、人が引き寄せられたり、何か新しいことがはじまろうとしていたり、息吹のようなものを感じる。それは、そこに暮らす人々から発せられているものなのか、土地そのものが発する磁力なのか、はたまた地力ともいうべきものなのか。ずっとその正体が分からないでいた。けれど、いまやっと分かったような気がしている。
地球の片隅にぽつんと浮かぶ、小さな島の大きな挑戦。

「ユネスコ世界ジオパーク」と「世界自然遺産」

マグマのような…という自分の感覚は、あながち外れていなかったように思える。隠岐諸島は、島後(隠岐の島町)及び島前(海士町、西ノ島町、知夫村)の隠岐諸島全域と周辺海域を含め、2013年に「世界ジオパーク」として認定。その後、2015年に世界ジオパーク事業自体が、ユネスコの正式事業となったことを受け、世界44ヵ国169地域の「ユネスコ世界ジオパーク」の一員として現在活動している。日本では2021年4月現在、国内の43地域が「日本ジオパーク」として登録されており、うち隠岐を含む9ヶ所が同じく「ユネスコ世界ジオパーク」の認定地域となっている。

ところで、「ジオパーク」とは何か、ご存じだろうか。「ジオ(Geo)」と聞くと、「ジオグラフィー」、「ジオラマ」、「地球」、「大地」といった言葉が浮かんでくるように、壮大なイメージを想起させる。「ジオパーク」とは、地球科学的に見て重要な地質遺産だけでなく、生態系や歴史・文化、人の営みと大地や地球との関係を学び体験する公園のことを指す。おもしろいことに、一部の自然環境だけでなく、認定されたエリア内にある個人宅の庭から住宅地、埋立地といった人工空間も「ジオパーク」に含まれるという。その意味では、そこに暮らす人々もその営みも、すべてがジオパークの構成要素ということになる。島に暮らす人にとっては、当たり前すぎて意識するようなことではないかも知れないが「わたしは、ユネスコ世界ジオパークの中で暮らしています」と言えてしまうことは、特別なことであり、なんともかっこよく羨ましい。

また、同じくユネスコの正式事業には、誰もが知る「世界自然遺産」がある。「ユネスコ世界ジオパーク」も、きっと似たようなものなのでは、と思う人も多いかもしれない。でも、じつのところ両者の活動目的には、大きく異なる点がある。

「世界自然遺産」
…顕著な普遍的価値を有する自然地域を、人類全体の遺産として、保護・保存すること。保護・保全のための国際的な協力及び援助の体制を確立すること。

「世界ジオパーク」
…重要な地形・地質学的な遺産の保護。社会、経済、文化の持続的な発展。
世界自然遺産は、保護・保全を目的に指定された「資源」が主役であるのに対し、世界ジオパークはそれに加え、地域資源の「活用」とそれによる「持続可能な地域振興」、そしてその担い手である「地域住民」こそが、主役であるという考え方があり、そこが大きな違いとなる。ジオパークは、大地の遺産のみでは成立せず、そこに住まう地域住民がその資源を持続可能な形で保全、活用していくという姿勢が重要な要素となる。

豊かな大地だからこそ、育まれてきた「人の営み」

「隠岐」と聞いて、最初にどんなことを頭に思い浮かべるだろうか。後鳥羽天皇や後醍醐天皇ご配流の地、本土から遠く離れた山陰の小さな島々…。いずれも「寂しさ」、「辺境の地」、「遠く離れた場所」といったネガティブなイメージではないだろうか。実際に、わたしも当地に足を運ぶまでは、そのような印象やイメージを持っていたことは否定しない。ただ、それが覆るまでに、さほど時間はかからなかった。
訪れたのはいずれも春。隠岐の海は、蒼い絨毯を敷き詰めたように、ただただ静かに凪いでいた。そこに身をゆだねると、目の前に広がる海のように心も不思議と凪いでいくようだった。自分の五感が解放され、ひらいていくような、そんな心地好い感覚すら覚えた。島のあちこちには、たくさんの歌が残されているけれど、古の高貴な人々は、どんな面持ちで、この海を眺めていたのだろう。
歴史から紐解いてみても、隠岐は「島流しの地」であることは、誰もが知るところ。ネガティブなイメージは、その歴史に紐づいているようにおもう。隠岐同様に、日本で有名な島流しの地といえば、佐渡、伊豆、安房などがある。じつはこれらの地域が配流の地として選定された背景には、きちんとした理由がある。
罪人といえども、もともとは皇族や貴族、神官といった社会的にも身分の高い人たち。配流先が真に辺境の地では、具合が悪い。配流は、彼らを国の中枢権力から引き離すことが主な目的であったため「都との行き来には不便だが、生活には不自由しない、安全が保障された地域」が選ばれたという。つまりそれは、隠岐には、いにしえから豊かな暮らしの土壌があった、という証拠に他ならない。
上質な黒曜石の産地として日本各地と古くから交流、天皇や神事、国事の必需品として献上され、現代も重要な基幹産業として隠岐の経済を支えている良質な海産物、北前船の重要な寄港地としての役割。それらが多くの人的交流や物流、外の多様な文化と隠岐独自の文化との交じり合いを生み、「人の営み」を紡ぎ支えてきた。

「大地の成り立ち」と「独自の生態系」 豊かな暮らしを支えてきた大地

では、その歴史や人の営みの根源、土台にあるものは何なのか。それは文字通り、隠岐特有の風土、地形といった「大地の成り立ち」、そしてそこから生まれた「独自の生態系」にある。
隠岐の大地の成り立ちは、大陸の一部であった頃にさかのぼる。そこから次第に大陸の一部が割れ、湖や川を形成。さらにそこへ海水が流入し、日本海が誕生する。その後、火山活動によって隠岐諸島の原型が出来上がる。島前も島後も同じ地下のマグマだまりから発したマグマの噴出によって形成されたものだと考えられているのだそうで、ここでもわたしが感じた熱く静かにうごめくものの正体を垣間見た気がした。
さらに半島の時代から、海水準の変動により、ついたり離れたり半島と離島の形状を繰り返し、最終的には現在の隠岐の地形が出来上がったのが約1万年前。隠岐の各地には、そんな各時代の大地の記憶が、地形や地理、岩石などに閉じ込められている。またそれは、大地の遺産だけに限らない。半島と離島時代を繰り返していた頃、海水準だけでなく激しい寒暖の変化という気候変動にもさらされてきた隠岐には、北海道で見られる植物と沖縄で見られる植物が共生していたり、大陸性の植物、高山性の植物、氷河期時代の植物などが共存したりするなど、様々な種が共生する世界的に見ても不思議でミステリアスな生態系を今に残している。これらも太古の記憶をとどめた貴重な資源といえる。

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